<aside> 💡 本記事は、『僕が愛したすべての君へ』『君を愛したひとりの僕へ』の原作小説と映画、そして公式スピンオフ小説『僕が君の名前を呼ぶから』のネタバレを含みます。これから映画を視聴したり、小説を読もうという方は、視聴後/読後にお読みください。
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<aside> 💡 ここで考えていることは、ぼくの勝手な考えであり推測です。本作品はさまざまな解釈を許容する作風です。なので本記事が正解だと主張するつもりもなければ、他の主張を卑下する意図もありません。
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読む順番もしくは観る順番により印象が変わるという『僕が愛したすべての君へ』『君を愛したひとりの僕へ』、とその映画。
映画『僕が愛したすべての君へ』『君を愛したひとりの僕へ』公式
ぼくは以下の順番で摂取した。
映画『僕が愛したすべての君へ』 ↓ 映画『君を愛したひとりの僕へ』 ↓ 原作『君を愛したひとりの僕へ』 ↓ 原作『僕が愛したすべての君へ』 ↓ スピンオフ『僕が君の名前を呼ぶから』
本ブログ記事では、以下の問題について考えていく。
視聴後、ひとつ気になったことがある。
『君愛』の世界の幽霊になった栞は暦の狂気により救われた。では、近隣の世界の栞は? 暦と栞が出会うことで栞が幽霊になる不可避の事象半径内の他の栞は救われたのか。
無限の可能性が考えられるこの作品の世界観で、あらゆる可能性を考えるのは不可能だ。なので以下の前提を置いて考えることとする。
『君愛』の世界以外でも事象半径内の世界で栞が幽霊になっているのは確かであろう。それらのすべての栞を救える可能性は以下の2つだろう。
A. 『君愛』の世界の暦と栞が時間遡行したことにより、暦と栞が出逢う可能性がなくなった。だから栞が幽霊になる世界は存在しない。
この説では、時間遡行による歴史改変のパラドックスを解決しなければならない。 存在した世界が消えるということは、7歳の栞と暦の融合した虚質はどこから来たのか。どこからも来ていないのであれば歴史は変わらない。歴史が変わらなければ幽霊栞が生まれる。堂々巡りだ。
B. それぞれの世界の暦によってすべての幽霊栞が救われた。
この説では、暦が栞を救うことに失敗した可能性が出てくる。起こりうる可能性の世界は分岐し存在しうるので、栞が救われていない世界が存在することになる。すべての栞を救うためには、この失敗の可能性を否定しなければならない。
作中でタイムパラドックスについて論じている箇所は1つしかない。『君愛』の241ページ。和音が暦に問いかけるシーンがある。そこでは、暦は絵を描いたあと鉛筆を折っても絵は残る、という例えを使いタイムパラドックスは起こらないと主張する。